こんにちは。機械トレーナーの中﨑です。
先日、2/13夜11時過ぎにやや大きく感じる地震がありましたね。
関東圏内では特に大きな被害はなく済んだと確認しましたが、みなさんは如何でしたでしょうか。
もしも、お身内、ご友人など被災された方におきましては、心からお見舞い申し上げます。
当時、宮城県で震度6強とのことでしたが、幸いにも津波の心配もなく静まったようでしたが、相応の被害が出たとの報道を聞きました。
そこで、なんとなく、10年前の3月を想起してしまいました。
3.11については、まだ皆さんの記憶にはっきり残っていることと思いますが、
私が初めて地震の恐ろしさを実感したのは、随分遡りますが1995年の阪神淡路大震災が発生した際の出来事ですね。
まだ入社して1年目の新人であったため余計に強い印象となってしまったのかもしれませんが、今でも思い出すと、現地で刻々と被害が広がっていく様の恐怖と強い衝撃を覚えています。
当時、私は島根県の原子力発電所に設計として半年近く常駐しており、先輩とマンションを借りて雑居していました。
毎朝、夜が明ける前の早朝に一人起床し、ご飯を炊いて、お味噌汁を作って、またそっと寝床に潜る毎日のなか、地震当日、わずかな揺れを感じて先輩を叩き起こしました。出張前、島根には大きな地震はないと聞いていたからなんですね。
結局大したことはなく、言うまでもなくそのあと先輩にボコボコに怒られてしまうのですが、咄嗟に起こしたことには理由がありました。
今まで経験した揺れ方と若干の違いを感じたからです。
わずかに下から突き上げるような重たい揺れを感じたような気がして無意識に危機感を抱いたのだと思います。
そのとき、遥か彼方の近畿地区が、まさかあのような大惨事になるとは夢にも思っていませんでしたね。
日中、現場での就業中、時間を追うごとに被害状況が報道され、悪い夢でも見ているかのような錯覚をしていたのを記憶しています。
地震を経験して変化したこと
その後、日本の耐震基準が大きく変化し、全ての発電所に於ける耐震基準の大幅な見直しと修繕が実施されていきました。
この頃から定時が21時とか言われるくらい忙しい毎日になっていき、納期によってはふつうに土日も出勤していましたね。今じゃ完全にアウトな残業ですが。。
耐震基準がコロコロと変わっていき、基準が上がることでますます耐震技術が進んで今に至る訳ですが、そもそも耐震とはなんでしょう。
耐震とは、読んで字のごとく、地震などの揺れに耐えるということですが、細かくいうと、建造物や構造物の強度を上げて破壊や損傷を防ぐ技術です。
当時設計をしている際に、よく耳にしたのが「ガル」という言葉でした。
ガルというは、「Gal」と書きますが、地震の揺れの大きさを表す単位です。
1ガルは毎秒1㎝の割合で速度が増す加速度をさします。
ちょっと蘊蓄ですが、ガルの語源は、ガリレオ=ガリレイからきているとのこと。
加速度といってもピンとこないかもしれませんが、例えば、車を運転していて、止まっている状態から少しずつスピードを上げて行くときは加速度は小さく、止まっている状態から急発進したときは加速度は大きくなります。
こうなると、頭や体がシートに押し付けられるような感じになりますが、これは加速度が大きく働いたということです。
こんなのを「G」がかかった、とか言いますが、これは重力加速度で、地震の加速度場合は、Galとなるのです。
そうなると、ガルの値が大きいと地震の被害も大きくなると思ってしまいますが、必ずそういうことでなく地震の被害は地震の周期や継続時間にも影響受けるということからです。
設計当時、東日本大震災が発生するずっと前は、およそ1000ガル程度を基準としての耐震設計が行われていたように記憶していましたが、それも徐々に変化し、今では倍以上の値で設計がされているようですね。
ちなみに、関東大震災は330ガル、阪神淡路大震災が891ガル、中越地震が1,722ガル、東日本大震災では2933ガル、熊本地震で1580ガルだったようです。。(恐)
熊本城の櫓、よくあそこまで持ちこたえましたよね。
昔の人はコンピューターもない時代に本当にすごいと思います。
長々と書いてしまいましたが、これらを踏まえて、人や資産を守るために日々努力し続けているエンジニアの皆さんには大きなエールを送りたいですね。
今後、大きな地震がいつ起きるか予測がつかない状況ですが、いつきたとしてもけがなど被害を極力食い止められるように備えておきたいですね。
皆さんへは、新型コロナだけでなく、地震などの自然災害にも十分ご注意いただいてどうか安心して充実した日々をお過ごしくださいますよう心からお祈りいたします。